動画のページ

昔話になってしまいますが、ビデオが普及するにつれ、航空物のソフトなども
ポツポツ発売されたのが25年位前の話。父が8ミリ(フィルムのです)をやっていたこともあり
当然ながら動画でも飛行機を撮りたいという思いは少なからずありました。
最初にビデオに挑戦したのが、横田でT−2ブルーが飛んだときだから、80年代中頃だと
思いますが、当時はカメラとビデオレコーダーが別々でして、総重量20キロ以上はありました。
レンタルした機材だったんですが、色はオカシイは、ノイズだらけだわで結果は散々でした。

その後、「ビデオサロン」など読むようになり色々と勉強したりして、解像度やらタイムレコーダやら
ワケもわからぬまま用語だけは覚えたりしました。
何せ当時はCCD自体がまったくの新技術で、撮像管を使用したカメラの方が性能が良いという
時代でしたが、CCDの性能も日進月歩で良くなり、ソニーが8ミリビデオを開発、
ビクターはVHS−Cで対抗という図式で、民生用の一体型ビデオカメラの新機種が次々と現れてきました。
機材はコンパクトにはなりましたが画質はあまり良くない様で
その上20万以上する機械でしたから手が出ずにいましたが、8ミリビデオの高画質フォーマットである
Hi8 登場で、がぜんその気になってしまい、満を持して遂にソニーのV800を購入するに至ったのでした。

前置きが長くなりましたが、その第一号機で最初のシーズンに撮影した画像です。
当然ながら撮影技術は最低ですし、素材そのものが古くなっている為、お見苦しいかとは思いますが
お気に入りのシーンを見て頂きたいと思って公開することにしました。

1991年 入間基地航空祭 帰投時ローパス E−2C
この年は、T−2ブルーが活動休止中だったのでいつもとは違った航空祭でした。
どの基地でも、インパルスの穴を埋めるべく工夫を凝らしていましたが、
外来機帰投時のローパスも組み込まれていて、いつもとは違い、殆んどの機体が
離陸後ローパスを実施していました。
この日の入間も各機ローパスを行なっていたんですが、
途中からローパス合戦に・・中でも凄かったのがE−2CとP−2Jでした。

会場の真上を、高速、超低空で駆け抜ける機体に対して、
思わずもれる「ウオー」という観客の声をマイクが捕らえておりますので
その辺も含めてご覧ください。
1991年 入間基地航空祭 帰投時ローパス P−2J
上の同じ日に撮ったP=2Jですが、今では退役してしまったので
懐かしい思いもありますね。ジェットエンジンの甲高い音も独特でした。
E−2Cより遠回りをしてスピードをのせ、ググっと降りてきています
E−2Cの時より「引き」の絵ですので、より低さが実感できると
思います。当時の航空ファンによると30フィートとのことでしたから
わずか10メートルあまりの高度で、管制塔はもとより、格納庫の屋根より
低いかも知れません。
1991年 新田原基地航空祭 帰投時ローパス F−1
これも私としては非常に珍しいシーンになります、
F=1による360度+αロールです。
インパルス以外の自衛隊機がロールを打つところを見たのは
このとき以外記憶にありません。
その華麗な動きと、ロール後のブレイクの仕方を見ると
インパルスOBじゃないかと疑っているんですが・・

補足:展示飛行では90度以上バンクさせてはいけません。
という規則があるとか無いとか、ふふふーのふーん、もう時効でしょ。
1991年 新田原基地航空祭 帰投時ローパス F−14A VF−21


この年、初公開となったCVW5のトムキャットですが、フリーランサーズが
最後にやってくれました。何も言いますまい、まずは画像をご覧ください。